ハローワークに募集が出ていました。「農産物の受注・販売」との業務内容でした。
私の前職の青果物販売とも関連するので、それを活かせそうだと思ったこと、一人暮らしができるだけの給与だったことが応募のきっかけとなりました。
県外に住んでいたのですが、2時間くらいかけて面接に伺い、晴れて採用となりました。
ちなみに、現在はこの会社を辞めています。
以下、思い出といいますか、思いついたことを順不同で書いていきます。
業務内容 ―第六次産業を目指す小さな農業法人
自社で作ったお米を自社で販売するという、いわゆる「第六次産業」を画策する従業員8名ほどの小さな会社でした。農業法人というものらしいです。
社内組織は、お米の生産部門と販売部門とに分かれていました。生産部はひたすらに現地での農作業、販売部はデスクで受注管理・電話応対・配達などが主な業務となります。私は、販売部に入社し、繁忙期には生産部の農作業も手伝うということになっていました。
生産部の繁忙期は、田植え時期の4月~6月頃。圃場が60ヘクタールくらいあったので、その時期には1ヶ月くらい休日もなく、朝から晩まで労働することになっていました。
夏には草刈り・農薬散布などで、それはそれで忙しく、秋には稲刈り。稲刈りが終わると、ようやく過労働の一年が終わるといった感じでした。
冬には、雪かき、農業機械の整備など、やることはありますが、皆、だらだらと何事かをしていました。
一方、販売部は、基本的にデスクワーク。そんなに多くない受注業務をのんびりとこなし、精米・発送担当者にそれを伝達し、毎日5時に退勤します(少なくとも私は)。土日もしっかりと休みます。
内部事情 ―どんな小さな会社にも軋轢はある
上記のような状態でしたから、私が入社してまず始めに「嫌だな」と思ったことは、とにかく生産部と販売部の仲が悪い。特に、生産部の人たち曰く、「こっちはこんなに働いているのに、あいつらは平気で5時に帰る。不平等だ」というのを会う度に毎日のように聞かされました。もちろん彼らには残業代なんて出ていない。
彼らは、別に残業代が欲しいわけじゃないらしい。残業代なんて請求したら、会社が潰れてしまうから。
ただ、その状況が不平等あり、あらゆる仕事を全部生産部に押し付けてくる販売部及び社長の態度が気に入らないということでした。
入社して間もなくの私にそんなことを言ってくるくらいなのだから、よっぽど長期間に渡り不満を溜めていたのだろうと推測されました。
そして、彼らは派閥を形成している。その派閥に私を取り込もうとしているのが目に見えてわかりました。
ああ、これが田舎の零細企業というやつか。
社長のワンマン経営
田舎の零細企業のもうひとつの特徴である「社長のワンマン経営」は、当然のごとく、弊社でも発揮されていました。
労働時間や採算なんて関係ない。やりたいと思ったことをすぐにやる。
自分の気に入った人をそばに置き、気に入らなくなったらポイと捨てる。
社内は、社長のその謎の行動力と独断と偏見に、かなり振り回されているようでした。
どう考えても採算が取れないと思われる、関東へのお米の出張販売のために1000万のトラックをいきなり何の迷いもなく買ったりしていました。
結局、その出張販売とやらは、数ヶ月後には社長自身が飽きてしまったこともあってか、次第に立ち消えとなり、1000万円のトラックは、ほんの数回使われただけで倉庫ですやすや眠っていますとさ。
思うに、一人で農業を始めるのなら悠々自適ともなるでしょうが、農業としての組織に雇われて属するならば、それはもう悠々自適でもなんでもなくなってしまう。
百姓がそのまま社長になったような人物の指揮のもとで、あらゆるルールが曖昧な組織の中で仕事をしていくのは、大変なことであると私は身を持って痛感しました。
高い離職率 ―強い情熱がなければ3ヶ月で心が折れる
生産部には、過去にも度々、新規就農者が入ってきていたみたいですが、誰も彼も3ヶ月くらいで辞めてしまうとのことでした。
就農は、おそらく軽い気持ちでは行うと情熱が潰えてしまうのではないかと思います。理想と現実のギャップがものすごいからです。
のんびり悠々自適という理想は、過労働という現実に尽く破壊されてしまう。田舎の人はみんな優しいという理想は、閉鎖的な派閥同士の争いという現実に飲み込まれてしまいます。
そして、それでも心折れなかったというある種特異でクセのある人たちが会社に残ることになるので、その組織はさらに濃度の高い個性の集団として仕立て上げられていくことになります。
採算
私が所属していたその会社は、国からの補助がなければ毎年大赤字だそうです。民主党政権時代に受け取った何とかという補助金は、かなり助かったとか。
従業員の話では、給料が出なかった月は一度や二度ではないそうです(結局、遅れて受け取ったそうですが)。
社員を社会保険や雇用保険に加入させる余裕もなく、退職金なんてもってのほか。残業代は出るはずがない。コンプライアンスという概念がない。安月給。
もちろん、利益を出している農業法人もあります。それは計画と戦略の賜物でしょう。
そういった企業は、少なくとも百姓がそのまま社長になったような人物が経営をしているとは思えません。
私の退社までの経緯
入社当初は、かなり期待されていました。仕事もそれなりに卒なくこなしていました。前述の通り、受注販売担当ということで入社しました。
初め、関東への出張販売に関わっていたのですが、それが立ち消えになると、受注販売に集中するようになり、ある時から精米所での精米作業に回され、翌年からは生産部に配属されました。
社長という人物は飽きっぽい性格のようで、初めは懇意にしてくれたものの、飽き始めたり私の悪い部分が見えてくるようになると、いとも簡単に生産部へと追いやりました。
仕事ですから、別にそれはそれで構いません。ただ、腰を据えて何かに取り組める機会がなさすぎました。
在庫管理をもっと容易に正確にできるようExcelシートをコツコツと改善していれば、別のどうでもいい仕事を押し付けてくる。会社のホームページを作りたいと言うので、それに取り組んでいれば、なぜか急に精米所で精米をしろという。それではと精米機について勉強し、精米のスペシャリストになろうとしていれば、突然の生産部への配属。
生産部は生産部で、誰もが毎日誰かへの文句ばかり。まして、皆、仕事がライフワークと化していたので、朝の早くから出社し、日が暮れてやることがなくなっても現場に残りだらだらと仕事と思しきことをしている。
前述の通り、繁忙期には1ヶ月くらい、人によっては2ヶ月くらい休みがないという状況だったのですが、どうも彼らは、休みなく誰よりも長い時間仕事をすることをこの上ない美徳だと捉えているようでした。私にはそういう考えは合わなかった。
私は、どんなに忙しくたって、きちんと休日を確保するようにオペレーションすることが仕事というものであり、特に上長としての責務であると考えます。忙しいからと毎日働くのは、思考停止した単なる作業に過ぎないのではないか。
冬は基本的にやることがないのですが、それでも彼らは毎日出社してきて、だらだらとほとんど何もしないで、夜遅くに不満を漏らしながら帰っていく。なんなんだそれは、と本気で思いました。
繁忙期にあれだけ働いたのだから、冬期は多めに休めばいいじゃないか。
そんなこんなで、ストレスが溜まって体調を崩してしまい、退社に至りました。
田舎暮らしは実際どうなのか ―意外とコストがかかる
田舎暮らしは、何事も安く済むと思われがちですが、そうでもありませんでした。
まず、クルマがないと何もできません。住む場所にもよるでしょうが、私の居住地は最寄りのコンビニまで徒歩で30分でした。ひたすらに田んぼに囲まれた街頭も何もない道をひたすら歩くだけです。休日にちょっと遠出をするとなれば、かなりの距離をクルマを走らすことになります。それでも手に入る物は、都会よりも少ないです。
家賃も思ったほど安くはありません。地方都市と同じくらい、むしろそれよりも高いくらいではないでしょうか。なぜなら、競争が少ないからです。
同様の理由で、ガス代がやたら高かったです。毎日普通にシャワーを浴びているだけなのに、月に1万円は取られました。
そしておそらく同様の理由で、物価も決して安くはありません。スーパーで売られているものは、普通に高い。豆腐一丁19円とか憧れていたのですが、全然そんなことはありませんでした。普通に99円くらいします。
田舎は基本的に、閉鎖的なコミュニティで構成されています。
例えば、若い男子の数名は自衛の消防団に駆り出されます。消防署に一任するという都会的な発想が浸透していないようです。
ゴミ捨て場にゴミを捨てたところ、「町内会費(みたいなやつ)を払っていないから」という理由でゴミを引き受けてもらえなかったこともありました。そもそもその「町内会費(みたいなやつ)」なんて全然話に聞いていなかったので、その際は心底驚愕しました。ゴミさえも普通に捨てられないのかこの場所は。
長く腰を据えて住もうとなれば、そのコミュニティに属さなければなりません。ご近所付き合いとかそういうものに巻き込まれていくでしょう。そういうのが苦手な人にとって、私を含めてですが、田舎暮らしはあまり向いていないと思います。
それでも、町並みはごみごみしていないし、周囲は自然に溢れていますので、空気はきれいに思えるし、静かで清々しい暮らしができることには違いありません。
現地の人は、温かくて優しいです。散々に上記で文句を書き連ねたので意外と思われるかもしれませんが、これは本当です。
駅を降り、不動産屋を探して右往左往していた私を見かねてか、「知り合いのとこまで連れてってあげる。乗りな」とただで不動産屋まで乗せてくれたタクシー運転手。
初めての雪かきで小さいスコップみたいなものしか持っておらず非常に難儀していた私を見かねてか、「そんなんじゃ全然だめだよー」とでかい除雪器具で辺り一面除雪してくれたお隣さん。
本当に親切な人が多いんだなと、住みたての頃に感動すらしたのを覚えています。
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